オレは目が見えない。
代わりに耳は優れている方だ。
そのおかげで命拾いをすることもある。
諜報活動の一環として、敵国との国境に向かうため雪山を縦走していた時のことだ。
4000メートル級の雪山だった。
アイゼンを装着し山を登っていたが、あとは山の麓まで下りのみになったため、オレはブーツからアイゼンを外し、背負っていたスノーボードに履き替えた。
午後になり次第に強まってきた風や柔らかく積もった雪に、珍しく手間取りながらもスノーボードを履き終えたその時、
微かな生体反応をエコーが捉えた。
これは人間ではない。熊でもない。
ふわふわとした小動物…恐らくウサギが…こちらをジッと見ていた。
丁度いい、捕まえて今晩の夕食にでもするかと考えていた時、ウサギは耳をパタパタと動かし何かを察知したような様子を見せると、麓へ向かって一目散に駆け出した。
何やら嫌な予感がする。
オレはエコーの探査域を広げ、半径1キロメートル範囲をくまなく調べ上げた。
すると微かにだが、山頂近くの雪の中から異音が聞き取れた。
緩く積もった雪
吹き抜ける強風
雪の中の異音
逃げ出したウサギ
そしてこの山の傾斜は約30~40°
脳内で全てが繋がった瞬間、全速力でスノーボードの滑走を始めた。
程なくして山が轟くような音を立てる。夥しい雪煙を巻き上げながら、雪が山の斜面を滑り始めた。
雪崩だ!
オレは先に駆け出したウサギに狙いを定めると、すぐ背後に迫る雪崩から守るように捕獲した。
そして雪崩が襲いかかってくると予想される射程から逃れるべく、最大速度の加速をつけ、雪崩に対し斜め45°の方角へ滑走した。
「ヤバいッ……!」
雪崩に追い付かれるコンマ数秒前、ギリギリのタイミングで何とか巻き込まれずに逃げ切ることができたが、雪崩に吹き上げられた雪煙のあおりを食らい、オレは雪山の林間部に吹っ飛ばされた。
雪の斜面を転がり落ちながらウサギを身体の中心に抱き込む。
雪崩は回避したが安心できるのは束の間だ。針葉樹が林立する場所にこの速度で転がり続ければ、
樹木に激突し 最悪死ぬ可能性がある。
そして目の前に、その瞬間は迫っていた。避けられないほど大きな針葉樹が、転げる先の雪面に立ちはだかっている。
オレは衝撃にそなえてグッと全身に力を入れたが───次の瞬間、思っていたよりずっと軽い衝撃が身体に走った。
一体、何が起きたのか。
しばらく何が起きたのか分からなかったが、どうやら柔らかい雪の中に埋まっているようだった。
雪の中から顔を出してみれば、目の前には激突するはずだった針葉樹が立っている。
オレが埋まっていた雪はまるで粉のようにサラサラとした雪だ。そのことから、ある現象を思い出した。
樹木の周囲には、ツリーウェル(ツリーホール)というものがある。
特に針葉樹に起きがちな現象で、木の枝が降り積もる雪を除雪するおかげで樹冠の下に深い雪の穴ができる。その穴の中にパウダースノーが流れ込み、被さると、構造上まるで落とし穴のようになるというわけだ。
スキー滑走の際はツリーウェルに転落すると、致命的な事故になりかねない。
だが今回ばかりはこの穴に引っかかったおかげで九死に一生を得た。
ようやく穴から抜き出ると、疲労のあまり雪面の上に大の字で転がった。
雪山の冷たい空気を吸い込み呼吸を整えていると、さっき抱えていたウサギがオレの胸や腹の上や顔の近くをもふもふと動いたあと、元気そうに跳ねながら去っていった。
夕飯に逃げられたなと思いながら、起き上がってエコー探査機が正常に稼働していることを確認する。
「やれやれ…聴力があって助かった。」
雪崩が起きた後の雪山の状態を見ながら、オレはスノーボードで慎重に下山をした。
…今日の夕飯は、何にするかな。
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