近頃 寝苦しい。
何者かに頭の中を見られているような感覚がする。
この村に逗留してから数日、そんな薄気味悪い気配を感じていた。
眠っている間は特にその気配を感じる。夜中に飛び起きるのだが、部屋の周囲に人がいる気配はない。
辺りをいくらエコー探査しても、館内放送用の壊れたスピーカーが砂嵐のような小さい雑音を流しているだけだ。
スイッチが見当たらないところから、放送は切れもしないのだろう。
「………ひでえ宿もあったもんだ。」
いくらこの村に1つしかない宿とはいえ、こんな安宿に4日も泊まってやる気はさらさらない。明日は早々にこの宿を出て、隣町へ向かうための山を3つ越える。
オレは薄い布団を耳まで引き上げて、深い眠りに就こうと努めた。
翌朝 顔を洗い髭を剃り終わってから、身支度を整え荷物をまとめて宿を出ようとした。
「おや、もう行かれるのですか。」
声をかけて来たのは、人の良さそうな初老の男───この宿屋のオヤジだ。
「日が暮れないうちに隣町まで峠越えをする予定だ。世話になった。」
「そうですか、それは難儀なことで…朝食は食べて行かれませんか。」
「食料なら荷物にある。それよりオヤジ、部屋の放送機が壊れてたぜ。何の放送か知らんが雑音しか聞こえん。直しときな。」
「ああ、それはそれは…!大変失礼いたしました、部屋ではおくつろぎいただけるよう音楽を流しているのですが、これはとんだご無礼を…
ご指摘ありがとうございます。───それでは、良い旅を。」
オヤジと二言三言話し終わって、オレは宿を出た。
山の中は鬱蒼としている。
あまり人の手が入っていないのだろう。
歩いているうちに、霧も出てきたようだ。
山の天気は変わりやすい。
日が暮れる前に何とか隣町に着かなければと、オレは歩を早めた。
背の高い雑草ばかり生える道のない斜面を踏みしめながら進む。
すると、少し平坦な場所へ出た。
このあたりの山にこんな場所はあっただろうかと疑問に思ったが、
その疑問は前方に探知した人間の気配にかき消された。
すぐさまエコー探査機の音に聴力を集中させる。
50メートルほど向こうの草むらの中を歩いてくる男。背格好は恐らくオレと同格の2メートル以上。だが、歩き方が普通の人間のそれではない。
明らかに軍隊経験者の歩き方だ。
そしてこの距離でも分かる
明確な殺意───
オレは担いでいた槍の鞘を抜き捨てると、気配のする方角へ槍の切っ先を向ける。しかしそこで、オレは信じられない"異常"を探知した。
男は、オレと"全く同じ姿"をしていた。
長い髪を後ろで雑に束ね
ボロボロの外套を身に纏い
右耳には探査機のついたピアス
顔や身体の骨格に至るまで
オレと、同じ───
生き写しのようだった。
男は槍に被せていた鞘を抜き捨てると、こちらに向かって切っ先を構える。オレを睨みつけるその眼は恐らく視力を失っており、光を映していない。
「……てめえは、誰だ。」
オレは声を低めて男に訊いた。
『………てめえに名乗ってやる名は、ねえな。』
答え方や声までオレと同じ───
なるほど、気に食わねえ野郎だ。
「…なら、オレが名前を付けてやろうか。─────"ニセモノ"って名前だ。」
オレがそう言うと、ニセモノは槍を構えたまま駆け出し、目をカッ開いて槍を突き抜いてきた。
身を翻して第一撃を避け、ニセモノの懐に飛び込む。そして気絶させるため顎裏に掌底を打ち込んだ。
しかし奴はそれを見切っていたのか、オレの掌底を片手で受けると、手首を捻り潰そうとし始める。
オレは咄嗟に足で奴の左手の関節を蹴り上げ、地面を転がりながら間合いを取った。
幸いオレの左手は無事だったが、奴の手は無事じゃあ済まないだろう。
関節は間違いなく外れたはずだ。
しかし様子を伺うと、奴は自分の、関節の外れた片手がぶらりとぶら下がったのを興味なさげに見ていた。
そして痛がるそぶりを少しも見せることなく、片手で関節をはめ直し、槍を構え直した。
「…フン、気骨は一人前にあるらしいな。」
こう言うとなんだか自分を褒めているようで気持ち悪かったが、オレは気を取り直して槍を構えるとニセモノに向かって振りかざした。
しばらく、お互いに槍で突いて弾き飛ばすばかりの応酬が続く。
戦闘パターンは互いに知り尽くしている。恐らく実力は互角だった。
いや、いくら打撃を加えてもダメージを食らっていないらしい分、奴の方が優勢か。
奴はどんな攻撃を食らおうが痛がりもしない。どれだけ急所に当たっても素知らぬ顔で立ち上がってきやがる。
オレはコイツが本当に人間なのかを疑っていた。
『───ドッペルゲンガーを知っているか。』
槍でしのぎを削っている最中、ニセモノが話しかけてきた。
『ある日突然現れるもうひとりの自分を、ドッペルゲンガーという。…その姿を見た者は、近いうちに命を落とす。』
「…Hah? くだらねえな。同じ顔に会ったら死ぬってんなら、そいつはてめえも同じじゃあねえかッ!」
ニセモノの槍を弾くと、オレは奴の腹を逆袈裟に斬った。
奴は斬られたものの、再び素知らぬ顔で傷をあらためていた。
その傷からは、血が出ていない。
…コイツは、明らかに人間ではない。まさか、本当にドッペルゲンガーだとでも言うのか。
しかしドッペルゲンガーとは、そもそも「自己像幻視」とも呼ばれる現象だ。
つまり、自分の姿を見る“幻覚”───
(…目の前のコイツは、まさか。)
だとしたら一体どこで?
山に入った時か、それとも…
『──死ね』
考え事などする暇もなく、ニセモノが斬りかかってくる。
オレは跳躍して攻撃を避けると同時に奴の背を斬りつけた。
攻撃は入ったが、やはり血は出ていない。ダメージもないようだ。
しかし攻撃のせいで破けた外套が気になったのか、奴は自分の外套の端を掴むと、ビリビリと裂いて脱ぎ捨てた。
オレは奴の、その躊躇のない動作に違和感を覚えた。
「………おい、てめえ。その外套、着なくていいのか。」
そう問うと、奴は無表情のまま淡々と答えた。
『着られねえものは、捨てるだけだ。』
オレはそれを聞いて思わずニヤリと笑った。
「─────なるほど、てめえは
ついにボロを出しやがったってワケだ。」
オレは背からもう一本槍を引き抜くと、ニセモノに向かって駆け出しながら双槍で連撃を加えた。
加えられる技を両手で防ぐのに精一杯で、奴は背の槍に手を伸ばす暇がない。
しかしオレが大技をかけるそぶりを見て、奴も急いで背の槍に手を伸ばした。
その瞬間を、待っていた。
ガラ空きになった左側へ高速で飛び込む為に、オレは両手から槍を捨てた。
捨てる一瞬、槍の先頭からダガーだけを取り外して握る。
それに気づいた奴は目を見開いていたが、大振りの槍で防ぐにはもう間に合わない。
「──死ぬのは、テメエの方だッ!」
オレは握ったダガーを奴の心臓目掛けて思い切り突き刺した。
『………な、ぜ…』
ニセモノは槍を取り落とすと、オレの腕の中に倒れ込んだ。
「……さっきてめえが捨てたその外套は、オレにとっちゃあ特別なもんだ。たとえただの布切れになろうとも、この手で必ず持ち帰るくらいにはな。」
ニセモノは言葉を呆然と聞きながら、次第にただの壊れた機械の姿へと変わっていく。
「………てめえはオレじゃない。同じ姿や戦い方をしていようが、同じ過去を生きてきたわけじゃあない。そんな奴に、負けるはずがねえ。
オレはこの過去を背負う限り、────いくらでも強くなる。」
カラリと音を立てて、ニセモノの腕が地面に転がる。
奴は完全に、壊れた機械になった。
「…まさか、骨格や外見の探査に影響するほどの幻術をかけてきやがるとはな。どれだけオレの脳に負担をかけやがったんだか……。」
幻術は解けて、辺りは鬱蒼とした山の景色に戻る。霧も晴れたようだ。
そしてオレ達が戦っていた場所の近くに、初老の男が震えながら座っていた。
「やっぱりアンタか、宿屋のオヤジ。あの雑音みてえな音をずっと聞かせて、オレに幻術をかけやがったんだろう。」
オヤジはガタガタと震えながらオレを見上げた。
「…貴方には、薬も毒も効かないと聞きました…幻覚をかけるしか、私には……。」
「オレを殺せと、誰に脅された?
…大体の察しはつくが。こんな悪趣味な殺人人形作りやがるのは…奴らくらいのもんだ。」
オレがニセモノの腕を蹴り飛ばすと、オヤジは俄かに怯えた。
「アンタは随分腕がいい催眠術者のようだが、精々国連軍の連中に殺されねえように気を付けな。そして、もし再びオレの前に現れるようなことがあれば────その時は、オレがてめえを殺す。」
ひいっと悲鳴を上げて、オヤジは命からがら逃げ出すようにして山を降りて行った。
フンとひとつ鼻を鳴らして、オレは散らばった槍を拾い、背負い直す。
そして再び山を登り始めた。
(………今でもこうして、あいつらに助けられているんだろうか、オレは────。)
十数年前のあの日の、地獄のような光景を思い出す。
胸の上にかかる外套をそっと片手で握った。
顔を上げ、山の頂上までの距離を探査する。
少し時間を食ったが、なんとか日暮れには間に合いそうだ。
そうしてオレは、
また一歩を踏み出した。
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