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  • 執筆者の写真cona

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更新日:2020年12月31日


隣国に向かう旅の途中、ある森の中を抜けていた時のことだ。


どうやら霧が深い日のようだった。


盲目のオレには視界がどうなろうと関係ないのだが…………ただ何か嫌な予感が、巻きついて離れない。


こんな森早く抜けてしまおうと足を早める。だが早めてすぐに、森のどこからか甲高いカラスの鳴き声が聞こえた。


一羽聞こえたかと思えば、二羽、三羽と鳴き声は増えていく。

オレの横をすり抜け、カラスは唸るような声を上げて両翼を羽ばたかせる。

そして樹の幹の上に一羽、また一羽とカラスがとまってゆき……


最後の一羽が、一人の男の肩の上にとまった。

霧の中に立っていたその男と、オレは遠い昔に出会ったことがあった。


「………アンタか、久し振りだな────“ガセン”。」


ガセン、と呼びかけられた男は、ニッと人懐っこい笑顔を浮かべる。

そして昔と同じように片手を上げて、こちらに声をかけてきた。


「よーぉイラカ隊長、息災にしてたかぁ〜?」


人の良い老人だ。

いや、人が良かった、と言うべきか。

優しい目元は昔のままだが、その眼の奥は少しも笑っていない。


「アルシュは元気かい、隊長さん。」


アルシュ………“アルシュ・チンシァオ”

オレの仲間の名前。


「あれはそそっかしい子だからよぉ、あんたのところでまたポカやらかしてんじゃねえかって心配でよぉ。」


素直すぎるほど素直で

無駄に元気で、すばしっこくて

表情や感情がよく変わる、忙しない奴だった。


「…………アルシュは、十年以上前に死んだ。」


淡々と真実を口にすれば、ガセンの表情から、ゆっくりと…笑顔が削げ落ちるように消えていった。


「死んだ?」


今にも正気を失いそうな眼で、ガセンは尋ねる。


「あんたが殺したんじゃないのかい?」


ガセンの声が、狂気でグラグラと揺れ始める。

…やはり、知っていたのか。

この養父のたった一人の息子が、十数年前の事件に巻き込まれて死んだことを。


「……あの子は…っ、あの子はなぁ!両親と一緒に、おれの眼の前で事故に遭ったんだ!それでも、両親が死んでもあの子だけは生きていた!だからおれが引き取って育てた!!」


過呼吸になるのではないかというほど荒い呼吸をして、それでもガセンは尋常でないほどの剣幕でまくし立てる。


「あの子は、チベットの野原や山を駆け回って……本当に、元気に健やかに育ったんだ!おれぁな、おれは!!あの子が望むことなら何でも応援してやる気だったんだ!!死ぬこと以外なら!!!」


絶叫に近い声でガセンが叫ぶのを、オレはただ、その場に立ち尽くして聞いた。


……子供に死なれた親は、こうにも狂うのか。


この老人は、オレが知っていた頃と同じ人間ではなくなったのかもしれない。

かつてアルシュが3番隊に入ると言った時も、愛する息子のために寂しさや心配を隠して笑顔を浮かべていたあの好々爺は、今はもうどこにもいなかった。


ガセンは、怨みの込もった眼差しでオレを見る。

エコーを通して聞こえてくるガセンの心拍は、殺意に駆られて早鐘を打っていた。


まるで脈拍まで、狂っちまったように────


そう考える間にも、ガセンの周囲にいたカラス達は此方を目掛けて一斉に襲ってくる。

オレは背に担いだ一本の槍を咄嗟に手に取り、襲い来るカラスの群れを一薙ぎした。

数羽のカラスが切り裂かれて地に落ちたが、そのカラスを視て…オレはハッと気付きガセンを睨めつけた。


───ただのカラスじゃない。


「………そいつらの嘴に塗った猛毒に触れて、助かった奴は一人だっていねえ。あんたも、おれも、このカラス達も────みんなここで死ぬんだ。」


ガセンは虚ろな目をして、更にカラスを操りオレに向かわせる。

…その昔、ガセンがこのカラス達を家族のように育て、餌をやっていたのを知っている。


「…………そこまでして怨みを晴らしてえか、ガセン!!」


バサバサと迫り来る羽音を斬るように槍を構え宙を切り裂けば、ガセンが長年手塩にかけて育ててきたのだろうカラス達が、肉塊になってぼとりぼとりと音を立てて地に落ちていく。


───オレの脳裏には、

あの日同じように肉の塊になってしまったアルシュの、死に際の記憶が蘇っていた。


アイツは戦って、動けなくなって、泣きながら笑って、そして、死んだ。


「…怨みってのは、消えないもんだ。生きるうちは片時も忘れることがない。死ぬまでこの頭に巣食って、無念を晴らせとおれを突き動かし続ける。」


懐から故郷の小刀を取り出したガセンはそう嘯くと、その細い刃物をぬるりと引き抜く。


「死んでもなお呪い足りないだろうと感じるほどの強い怨みだけが、それだけがこの十数年間、おれを生かし続けてきた!」


細身の刃の上には、猛毒なのだろう液体がとろけていた。


…この手合いは、厄介だ。

自分の身を滅ぼす覚悟のある奴は、全てをかなぐり捨てて向かってきやがる。そしてガセンの毒は、触れただけで死ぬ猛毒ときている。


─────だが、それでも。



「……………耳障りだ。

テメエだけが復讐者のようなツラをして、どデケエ声で叫びやがって。」



それでも、オレは絶対にここで死ぬことはない。



「なあ、ガセン。どれだけ生きようと、記憶は毒のように蝕み、人を作り変える。この生に余る怒りが、あまりに深い憎しみが、“必ず殺せ”と復讐へ駆り立てる。アンタと同じ言葉を、オレは自分の心の中で何千何百万遍と聞いてきた。」



それでもオレは、ガセンとは違う。



「…………来いよ、アルシュを殺したオレを殺しに来い!!!!」


周囲にいたカラスを全て斬り落とし、ガセンに言い放つ。

復讐に染まりきったガセンは血走った眼でオレを見る。

猛毒に塗れた小刀を構え、そして老いた喉を叫びで震わせながら走り向かってきた。


「うア"あああああぁッ!!!!!」


…いつだったか、アルシュから聞いたことがある。

ガセンは、その昔は盗賊の首領だったのだと。


盗賊だったが、養父は優しいのだと。


流石に元首領だけあって、太刀筋は悪くない。────だが、


「…耄碌したな、ガセン。」


その動きにはもう老いが見える。

ガセンがアルシュの死に苦しみ続けた十数年の歳月は、確実にガセンを老化させていた。


猛毒が塗られた小刀を持つ手を掴み、刃物を落とさせる。

その一瞬の隙のうちにガセンの鳩尾へ、握り拳で一撃を見舞った。


「…………か、は…っ………。」


身体から力が抜けていくガセンを両腕で支える。

気を失う寸前の、遂には立てなくなり地面に倒れ込むようになったその肩を抱き留めて、オレは言った。


「…………アンタの代わりに、オレが必ず復讐を成し遂げる。だからアンタは生きててくれ。怨みが消えないならオレを殺す為にでいい。どんなに怨みに塗れてもアンタが生き続けるのを、アルシュが一番に望んでることくらい…分かってんだろう、ガセン。」


ガセンはオレの言葉を聞き終える。

そして小さな嗚咽を漏らしながら、

最後に、一言だけを呟いた。



「………守ってやれなくて…すまなかった、アルシュ────。」



そしてガセンは、気を失った。


ガセンが呟いたその言葉も

今まで数えきれないほど、オレが心の中で繰り返した言葉だった。



 


ガセンを地面に横たえた後、オレはひとまず布きれを取り出す。

そしてガセンが落とした小刀の柄を包み、握った。


「………目ぇ覚めた時に変な気を起こさねえように、こいつはオレが持っていく。」


悪く思うなよ、と気絶したガセンに声を掛けて、オレは次の街へと向かった。


未だ霧深い森を歩くと、

まだ何処からか…カラスの鳴き声が聞こえたような気がした。



「………この身体の内からも外からも騒音ばかり聞こえてきやがる。なあ、アルシュ。────お前なら今のオレを何と言うだろうな。」



そうして永遠に返ってくることのない答えを、オレは全てを失ったあの日からずっと、探している。

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