嘘をついた捕手、または大嘘付きの庭
という邦題のついた絵です。
3月中に何か一枚春っぽい絵が…ミ、ミモザが描きたい…!となって描きました。
3月は仕事や生活に追われて描けたのはほとんどこの絵1枚ですが、1枚でも描けただけよかったです………
以下、絵のちょっとした解説というか、
描きながら考えたことなどをつらつらと書いております。
この絵の中に描かれた黄色い花。
これがミモザと予想してくださった方の中で特に植物に詳しい方は「この絵、変だな」って思ったかもしれません。
ミモザは自然に任せて育てれば、5〜10mくらいの高木にまで大きく育つ常緑植物です。小さく仕立てて庭木などにすることもできますが、この絵のように広大な花畑を作るには、植えつけたミモザを全て小さく剪定し続けるか、見た目の再現だけを目指すならば、1mほどのミモザの切り花を1本ずつ地中に立てて固定するか…
とにかく手作業でやるならば、この花畑を作るためには異常な執念と忍耐力が必要になります。
ただザノ・ヨウヒがミモザ畑を見たいと言ったなら、おそらく甍オールドマンはそれをやり遂げてしまうでしょう、ということなんですよ。
(これが言いたかった)
2人の基本的な関係性や性格上、ザノ様は表立って愛情を表現しますが、逆に甍さんはほとんど愛情を表に出しません。
出さないだけで甍さんの友愛は水面下にきちんとあり、しかし見えないだけにその愛情がどこまで深いのか全容を測ることができない部分もあります。
ザノ様の愛情が楽しさを溢れるほど与えてあげられるものなら、甍さんの愛情は無限と言えるほどの苦しさにも耐えてあげられるというもの。
愛情の質自体が違うことで彼らは互いの欠点を補い合うところがあり、何より彼らがそれぞれ選んでいる愛情のかたちは各々の性格や思想をよく反映している気がします。
たとえ切り花でできた花畑が数日後に全て枯れ果てて荒野になると分かっていても、甍さんは夜明けに一本ずつ花を植えるし、ザノ様が望む一瞬をつくってその後のことはひとつも知らせません。
ゆえに同じ空間に彼ら2人がいても、心情的なものを通して見る景色は常に別々のものであるのです。
花畑の正体を知っているか知らないか。まるで日向と日陰のように、その境界は明確に区切れています。
ザノ様は手を繋ごうと甍に腕を伸ばしますが、同時に甍さんはザノ様の手首を掴もうと腕を伸ばして、影の中に引き込もうとしています。
引き込んだところでお互い背負っているものや過ごしてきた過去や思想が全く違うので、同じ景色が見れようはずもないとわかっていながら、たまには甍さんもそんな悪戯をしてみるのです。
そして甍さんと出会う以前の記憶を全て失っているザノ様にとって、どんな作り物でも甍さんが「有る」と言えば、それはザノ様にとってもそれは本当に世界の中に実在していると心から信じてしまいます。
だからこの花畑は、甍さんの大きな嘘でできたミモザの庭なのです。
甍さんは光の世界にいるザノ様の絶大な信頼が暗い世界にいる自分に向けられていることも、それを自分が好きな手のひらの上で転がしてしまえる事実も、危うさも、困惑も、それらを全部分かっていて嘘を吐く自分の愚かさも、1人で抱えて相手の記憶は綺麗なままにしてやることが愛情だと思っているところがあります。
しかし上手く隠さなくてはザノ様は案外目敏いところがありますから、綻びの糸口を見つければそうは問屋が卸さないと甍さんに向かって真正面からまっすぐ全速力でぶつかってきます。
果たしてこの先の彼らはどうなるやら。
今後の師友組さんの化学反応を私が一番楽しみにしております。
サラッと書くつもりが思ったより長くなってしまいました!
最近は師友組さんについて考えることに気が向きがちなので、またしばらく語ったり書いたりしそうです。
特に冬と春は師友組について考えやすく、夏と秋は修羅組が考えやすいとかあるみたいです。自分でもよくわからないんですが…
突発的に自創作コンビにブームが来るタイミングが自分のことながら読めないので、今日もうまいことうちの子に振り回されております。
引き続き忙しい日々が続く予定なのでゆっくりスピードで創作していきますが、よかったらまた更新した時にでも見てやってくださいませ。
長文を読んでくださってありがとうございました。
それではまた。
cona